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 「あーいよいよその時がきた」と思った。あの一月十七日の夜が明けて主屋の中に入った時、柱こそ建ってはいたものの、中の荒れ様はすさまじく、私達は解体を覚悟していた。いつかは壊さなければならないだろうと思ってはいたが解体の費用の事や、先祖の思いがこもった家を壊すにしのびないという思いで、今までほっておいたのだがこれでふっきれた。
 ところがY先生との出会いで私達の決意が大きく揺らぐ事になった。Y先生は古民家や町並の研究をされている高専の教授で、前年より我家の調査に当たっていた方で、まだその調査も終わっていなかったから、壊すつもりだとことわっておこうと電話した。先生はその日の内に来宅され「危険場所へ入らない様に、支柱を入れてもうらう様に」と指示され、解体するという私達に「まぁちょっと待って」とだけ云って帰られた。その週末にY先生が建築家のKさんを連れて来られた。Kさんは家を見て廻られた後「これを壊してしまうのはおしい、蘇生という方法がありますよ」と云われた。蘇生という言葉にイメージがわかず、あまり気のない返事をしたが、その時置いていかれた古民家再生工房のパンフレットを見て、新築と見える趣のある家の写真に、蘇生とはこんな事だったのだと驚いた。無垢材の暖かみや旧い各家の持った個性が生かされていて、こんなにきれいな素敵な家になるのか感激した。施工会社も川嶋建設と決めて下さった。
 設計もほぼ完成した時、構造設計のTさんから「古民家を蘇生されているが耐震補強はどうされていますか」という問合せがKさんにあったのだ。二人は今まで全然面識がなかったが、ここでも新たな出会いがあり構造設計をお願いした。
 年が明けて平成八年一月に工事が始まった。まず両サイドの棟が解体された。再生する主屋部分は柱と梁と内壁を残して骨組だけになった。昔の三和土の上に基礎がなされ、新しい柱が入り、家の傾きを修正し、どんどん工事は進んでいく。棟梁の段どりの良さが伺える。いつも何組かの業者が入り並行して工事が進められた。時には耐震補強のための現代技術と棟梁の伝統技術での施工上の意見の違いが、Y先生、設計のKさん、構造上のTさん、棟梁とで夜遅くまで議論されたこともある。皆さん一生懸命に取組んで下さって仕事に対する強い情熱を感じた。
 半年で工事は完了した。元の黒い材木を新しく入った木と白黒の対比が美しい重厚な家となった。座敷はそのまま修復し、土間は玄関とリビング台所に変った。壊した酒蔵の大きな梁はカウンター、テーブル、敷居、式台に、大きな酒樽は玄関の床板に生れ変った。二百数十年を経た松の梁も良い香りがしていたし、酒樽を再利用した床板もかすかに酒の香りがした。障子やふすまの引手まで使える物は再利用された。背くらべした柱のきずもちゃんと残っている。思い出の古い物を継続しながら、現代的な生活が出来る様になり肩の荷がおりた気がする。工事中に床ノ間の下地板裏から棟上の墨書が見つかった。享保五年三月に棟上るとあった。なんと新築と蘇生の年が同じ子の年(ねずみ年)だったとは。二百七十六年振りに新しく生れ変ったのだ。「今まで大きな荷物だった家が誇りになりましたね」とKさんが云われた。ほとんど解体されるはずだった家が人と人との出会があってこんなに立派に生がえった。Y先生が調査に来られなかったら、今頃この家はないだろう。
 蘇生が終わって、この家自体に私達にはわからない何かの力があるのではないだろうかなどとふっと思ったりした。震災という大惨事から復興へと向かって当時はすごい力が皆それぞれに漲っていた様に思われる。沢山の工事関係者にも感謝している。
:: kominka-sosei ::
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